FIRフィルター2048TAPで何が変わるか——映像視聴ルーム施工の実測データで解説
音響調整の現場では、DSP(デジタルシグナルプロセッサー)に搭載されたFIRフィルターを使って、スピーカーの伝送周波数特性を補正します。
そのFIRフィルターにはTAP数という数値があり、これが「どの周波数帯まで、どれだけ細かく補正できるか」を決定します。
今回は、ある映像視聴ルームの施工を例に、2048TAPのFIRで実際に何ができるかを実測データで解説します。
グラフについて:冒頭のTAP数比較グラフは、FIRインパルス応答をFFT解析してTAP数ごとの補正特性の違いを示した参考データです。
今回の施工現場のものではありません。
実測データは補正前後のグラフをご覧ください。
FIRとTAP数——正清電器での運用方法
FIR(有限インパルス応答)フィルターは、デジタル信号処理の演算を使って音の特性を精密に補正する技術です。
通常のパラメトリックEQ(IIRフィルター)と違い、位相特性を操作しながら周波数特性を整えることができます。
正清電器でのFIR設計では、ピーク位置を192TAP固定にすることで処理遅延を常に4msに固定しています。
TAP数が増えても遅延量が変わらないため、システム全体のレイテンシーを見積もりやすくなります。
ただし、この設計では位相特性の制御範囲はおおむね2kHz以上に限定されます。
この4msという値は、後述するとおり「位相を制御できる周波数」と「レイテンシー」のトレードオフから決めたものです。
では、TAP数を増やすメリットは何かというと——IIRでは再現できない、細やかな伝送周波数特性の補正です。
TAP数が多いほど、より低い周波数帯まで精密にEQ補正をかけることができます。
| TAP数 | 伝送周波数特性の補正の実用的な下限(目安) |
|---|---|
| 384TAP | 概ね2kHz以上 |
| 512TAP | 概ね1kHz以上 |
| 2048TAP | 概ね300Hz以上 |
※正清電器での施工実績に基づく目安値です
遅延・位相制御の設計思想
「おおむね2kHz以上に位相制御を限定する」という設計には、明確な理由があります。
複数台のスピーカーを同一空間で鳴らした場合、スピーカー間で位相干渉が生じます。
このとき高域ほど波長が短く、干渉の影響が大きくなります。
逆に低域は波長が長いため、干渉による影響は比較的小さい。
この特性を踏まえ、正清電器では「干渉で問題が出やすい高域(おおむね2kHz以上)の位相をきちんと制御し、低域は伝送周波数特性の補正に注力する」という方針でFIRを設計しています。
ここには明確なトレードオフがあります。
位相をより低い周波数まで制御しようとすれば、その分だけ遅延を確保する必要があります。
一方で昨今はワイヤレスマイク・ミキサーなどの機器がデジタル化され、システム全体では各段の遅延が積み上がっていくため、トータルの遅延は少ないほど望ましい。
「位相を制御できる周波数」と「レイテンシー」の折り合いをつけた結果が、4ms・192TAP・おおむね2kHz以上という設定値です。
全帯域の位相を無条件に操作するのではなく、問題が出やすい帯域にリソースを集中させるという考え方です。
今回の施工概要
- 施設種別:企業内映像視聴ルーム(小〜中規模、奥行きの浅い空間)
- スピーカー構成:メインLR(5インチ)+ サブウーファー
- DSP:2048TAP FIRフィルター搭載
- 測定ポイント:前方(M1)・後方(M2)の2点
奥行きの浅い部屋のため、前後の音環境の差はそれほど大きくありませんが、補正前には明確な課題がありました。
補正前の実測データ
M1(前方):150Hz以上は緩やかな山型。
200〜300Hzに約55〜57dBのピークがあります。
M2(後方):200〜250Hzに顕著な山(約62dB)があり、前方より約10dB突出しています。
低中域のこもり感の原因です。
前後で同じスピーカーシステムを聴いているにもかかわらず、M2の200Hz台の盛り上がりが目立ちます。
補正後の実測データ
M1(前方):150Hz〜10kHzがほぼ±2dB以内に収束。
非常にフラットな特性が出ています。
M2(後方):補正前に62dBあった200〜250Hzのピークが54dB台まで抑制。
500Hz以上はフラットに整い、前方と近い印象の伝送周波数特性になりました。
2048TAPだからできたこと
補正前のM2にあった200〜250Hzの大きな山を抑えられたのは、2048TAPのFIRフィルターが300Hz台の帯域まで個別に操作できる解像度を持っていたからです。
384TAPや512TAPでは、この帯域へのFIR補正の解像度が不足し、隣接帯域への影響が出やすくなります。
IIRのパラメトリックEQでも補正は可能ですが、Q幅の制約から細かい特性の凹凸に対応しにくく、FIRの方が精度よく仕上げることができます。
100Hz以下——このスピーカーが出せない帯域を後段でカットする
グラフを見ると100Hz以下の低域が大きく落ちていますが、これはFIRが補正した結果ではなく、スピーカーが物理的に音を出せないためです。
今回のメインスピーカーは5インチで、再生下限がこのあたりにあります。
このグラフはFIRフィルターを通過した直後の波形で、後段のIIRクロスオーバーはまだかかっていません。
つまりこの時点では、100Hz以下の信号もエネルギーとしてスピーカーに送られています。
スピーカーは音に変換できないまま電気エネルギーを受け続けており、その分だけ余計な負担がかかっている状態です。
この後の工程でIIRクロスオーバーを入れ、メインスピーカーへの低域信号をバッサリ切ることで、スピーカーの不要な負担を解放します。
低域はサブウーファーが受け持ち、タイムアライメントを合わせることで量感と定位をコントロールするのが、この構成での正しいアプローチです。
まとめ
- 正清電器のFIR設計はピークを192TAP固定にすることで遅延を4msに固定——「位相を制御できる周波数」と「レイテンシー」のトレードオフから決めた値
- 位相特性の制御はおおむね2kHz以上に限定——これは複数スピーカーの干渉特性と上記の遅延設計を踏まえた意図的なもの
- TAP数が多いほど低域まで細かい伝送周波数特性の補正が可能(2048TAPで概ね300Hz以上)
- 100Hz以下はこのスピーカーが物理的に出せない帯域——信号は届いているがスピーカーを苦しめるだけ。後段のIIRクロスオーバーでカットし、サブウーファーに引き渡す
今回の映像視聴ルームについては導入事例ページもあわせてご覧ください。
音響調整の詳細については音響設備ページをご覧いただくか、お気軽にご相談ください。
よくある質問
FIRフィルターのTAP数とは何ですか?
TAP数はFIRフィルターの演算回数を表します。
TAP数が多いほど、より低い周波数帯まで細かく伝送周波数特性を補正できます。
逆にTAP数が少ないと、補正できる帯域の下限が高くなり、低域への補正精度が落ちます。
2048TAPと384TAPで何が違いますか?
補正できる帯域の下限が大きく異なります。
384TAPでは概ね2kHz以上、2048TAPでは概ね300Hz以上まで精密な補正が可能です。
200〜300Hz台の低中域の山やディップを細かく操作するには、2048TAP以上のTAP数が必要になります。
なぜ正清電器はFIRのピークを192TAPに固定しているのですか?
処理遅延を常に4msに固定するためです。
位相特性をより低い周波数まで制御しようとすると、その分だけ遅延を確保する必要があります。
一方でワイヤレスマイクやミキサーなどのデジタル機器が増え、システム全体では各段の遅延が積み上がるため、トータルの遅延は少ないほど望ましい。
この「位相を制御できる周波数」と「レイテンシー」のトレードオフから、FIRに割ける許容量として妥当と判断した値が4msです。
ピーク位置(インパルス応答の主ピーク)をTAP数に関係なく192TAPで固定することで、TAP数が変わっても遅延量が一定になり、システム全体の遅延も見積もりやすくなります。
☎ 096-379-1234(月〜土 9:00〜18:30)
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